不登校だった私が親に感謝していることと、引きこもりにならなかった理由

経験したコト

今月16日、農林水産省の元事務次官が長男を殺害した事件の判決が言い渡され、メディアで報道されていましたね。

この事件は、引きこもりで家庭内暴力を振るっていた長男(44)を元農林水産事務次官の父親(76)が刺殺したものです。

長男は、中学2年生の時のいじめをきっかけに不登校となり、それが同時に家庭内暴力の始まりにもなりました。

以前の記事で、私もいじめをきっかけに不登校になったことを書きました。

不登校だった私が救われた、通信制高校という制度
不登校だった私が救われた、通信制高校という制度について説明しています。

なので、この事件はなんとなく他人事ではないと思っているのです。なぜなら、もしピースが揃えば私も今でもひきこもりで、私の家族も彼らと同じような結末を辿っていたかもしれなかったから。

でも、そうはならなかった。それはなぜなのだろうかと、考えていました。

今日は私の経験から、私が今こうして社会人となり、親に感謝するまでになった理由を綴りたいと思います。

あくまでも私一個人の経験談ではありますが、実際に不登校を経験し、かつ会社員として曲がりなりにも自立した大人として生活できている人間の話をお伝えすることで、今悩んでいる人たちのヒントになれば幸いです。

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不登校から脱出できたのは「家」という居場所があったから

一言でいうなら、私がここまで成長できたのは、両親が「家」という居場所を守ってくれたことに尽きます。

特定の言葉や行為よりも(それも大切ではありますが、不登校の最中には気づけないものです)、安心できる場所がある、ただそれだけの、だけど、きっととても大切なことが私にとって重要だったと言えます。

私が不登校だった時は、「不登校だった人がその後どうなったのか?」もしくは「不登校である自分はこの先どうすればいいのか?」「不登校である子どもとどう接すれば良いのか?」という情報をほとんど得ることが出来ませんでした。

当時はネットが普及し始めたばかりでしたし、田舎ゆえに近所にフリースクールなどもなかったです。

私が不登校になったきっかけはクラスメイトによるいじめでした。

それが原因で、一時期は強迫性障害を患うことにもなります。

強迫性障害とは不安障害の一種で、例えば、「手が汚れている」という強い不安が消えずに、何十回も手を洗い続けたり、戸締まりや火の元を何度も何度もしつこく確認してしまうような症状が現れるものです。

強迫性障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省
こころの病気といっても、種類も症状も様々。病名をつける方法は体の病気とは考え方が異なり、主に症状や持続期間、生活上の支障などから診断名をつけます。

当時、私も両親もこの病気を知らず、何時間も手や体を洗い続ける私に対して、お互いどうしたら良いかわからない状態でした。

「まだ洗ってるの!」と怒られたことだってあります。その度になんでわかってくれないんだろう? と涙を流していたんです。

私が不登校だった時に親がしてくれたこと

今ならわかるのです。両親も私と同じように暗闇の中にいた。

我が子が不登校児になる。それはもちろん、望ましくないことです。

加えて私は学校でいじめられていることをなかなか両親に話しませんでした。

いじめの被害者によくあることですが、自分が「いじめられている」ということが恥ずかしくその事実を隠したかったのです。

だから両親には何が原因なのか分からず、もどかしい日々が続いたと思います。

そんな中でも両親がおこなってくれたこと。それは主に以下の3つでした。

  • 両親が喧嘩をしていない
  • 自分の部屋にひきこもらせない
  • 一緒に別の道を探してくれた

私は両親の喧嘩を見たことがありません。外(学校)を嫌悪している私にとって、家の中が平穏であることは最も重要なことでした。

また、私は不登校をしている間も、「自分の部屋に引きこもる」ということがありませんでした。

私の実家には鍵をかける部屋というものがひとつもない上に、「私だけの部屋」というものがありません。だから、必然的に居間にいることが多くなり、特に専業主婦の母親とは毎日会話をしている状態でした。

両親が意図的におこなったことではないかもしれませんが、これはとても良いことだったと言えます。

そして必ず、夕食は家族全員で食べる。父や姉が遅く帰ってきても、必ずみんなが談笑している居間で食事をするので、一人で食事をする人がいなかったんですね。

今思うと、私にとってすごく安心できる空間を作る役割を担っていたんだと感じます。

そして最も嬉しかったのは、両親は私と一緒に別の道を探し、応援してくれたことです。

公立の中学校に通えなくなった私のために、私立の中学校に転校することを勧めてくれました。

ただ、転校しても私はまた不登校になってしまったのですが、それでもそんな私を長い目で見守ってくれました。

そして、全日制ではなく通信制高校への進学という道を見つけてきてくれて、今に至るというわけです。

学校で傷ついても戻ってこられる場所をつくる

結果として、「学校に行けない」私が学校に行けるようになったのは、「家」というもうひとつの確固たる場所があるということに気づけたからなのです。

例え外でどんなに傷ついたとしてもこの家に戻ってこられれば、大丈夫。

そう信じられる場所を両親が作ってくれたこと。それが私が引きこもりにならなかった最大の理由です。

もちろん、これは私個人のケースであり、すべての人に当てはまるわけではないです。色んな環境と子どもの個性があり、単純にこれを行えば解決するというものではありません。

冒頭の元事務次官のケースでいうなら、もっと家庭内でなく外(行政など)に援助のシステムを構築する必要があるでしょう。

ただ、まずは家庭内でできること、それがたくさんあることもまた事実で、私は不登校という不安の中で模索し、生きている人々が少しでも幸せになればと願っています。

私のこの経験が、暗闇の中で戦っているあなたのかすかな光になるとしたら。

これ以上嬉しいことはありません。

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